実はFFXIの裏(デュナミスではない)で密かにやってました。
そもそもNintendo DSというハードには全く興味がありませんでした。それが、このゲームが発売されて以来どうにも気になって、とうとう購入。飛空挺の待ち時間や、イベントの集合待ちの合間に、タッチペンでスリスリしては、ニコニコしています。
いやぁ、よく出来てますよ。可愛いです。子犬の仕草や習性をとてもよく研究していて、感心してしまいます。さすがに「ウチの子が一番」というほどの親バカぶりは発揮していませんが、接するほどに愛着が湧いてくるのは確か。DSに向かって「おーい、ゴエモン」とか呼んでる姿は、あんまり他人に見せられたものではありません。
ところが。可愛がって世話をしながらも、何故か気持ちの中に小さなわだかまりがずっと付いて回っているのです。
それは、このゲームに成長・寿命といった概念がないこと。もちろんそれがこのNintendogsのウリの一つであり、ペットの育成面にリアルな方向性を持たせたシミュレーションではないことは承知の上です。確かにゲームの中でまで、わざわざペットロスの哀しい思いを味わうこともないでしょう。
しかし、いつまでも仔犬の姿のままで賢く逞しくなっていく様子は、ライチュウになることのないピカチュウと一緒。つまり、仔犬の格好をした「ポケモン」であり、収集欲や所有欲の対象である愛玩「物」、生命感の希薄なイコンに過ぎないように思えてしまうのです。それは、Nintendogsのリアルさに対する裏返しのジレンマなのかも知れません。
本物の生き物は驚くほど簡単に死んでしまいます。そしてそれは一度きりで終わり。だからこそ尊く、愛おしいものになりえる。犬を飼ったことがない子供達がこのゲームに触れて、同じ感覚で「ホンモノが飼いたい!」とねだった時のことを考えると、少し薄ら寒い気持ちになってしまうのは考え過ぎでしょうかね。